about me
 
本  名:田中正志 MASASHI TANAKA 
出  身:長崎県大村市
大  学:西日本工業大学(浪人・留年は偶然にもナシ)
製造年月日:1974年4月9日 牡羊座
血  型:A型
趣  味:映画鑑賞、読書、バレー、ドライブ
特  技:スノボー、卓球、静止画・動画編集
職  業:会社員
排球年数:20年

■好きな言葉(座右の銘)

感動が人を動かし、出会いが人を変える。
人生の価値とは、どれだけ多くの感動に出会えたかである。
変化なくして、継続なし。
過ちの中にも真実はある。
偶然から始まる出逢いは、やがて必然となり軌跡となる。
神は、のりこえる事ができる者だけに、試練を与える。
出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない。
本当に大切なものは目に見えない。
やる気に不可能なし
信じるのも自分次第。信じないのも自分次第。
子孫に美田を残さず
アイデンティティ
シンドローム(症候群)
maybe
Forget-me-not
 
チームつくり

私は、大学を卒業と同時にバレーボールはやめるつもりでした。
地元長崎の企業に就職し半年が過ぎていました。
私は仕事だけの生活に、仕事の為の休日に憤りを感じていた頃でした。
「もう一度、バレーボールをやってみよう。」 何と無く思いました。しかし、突然の転勤を言い渡されました。転勤先は埼玉県でした。そして、1週間後、私は埼玉県浦和市に居ました。
それから1年半、スポーツとは縁のない生活がはじまりました。その間、「体を動かしたい。」欲求に耐えていました。正確には、「バレーボールをやりたい。」欲求でした。
その事に気づいた時、会社を辞める決意をしました。
それが、1998年8月のことでした。
それから、実家の在る長崎に帰り新たな仕事を探しながら、近くの高校のバレー部で練習をさせてもらう事ができました。その高校には、バレーを通じて知りあった友人である、Y氏が男子バレー部の監督をやっていたこともあり気軽に練習をさせてもらうことができました。そして、2ヶ月が過ぎようとした頃でした。私は、同じ年代の人たちと「バレーをやりたい。」「試合をやりたい。」と思うようになりました。
私は直ぐに行動しました。バレーをやっている知り合いに連絡をとり一緒にバレーをやってくれる人、バレーを好きな人を募り
1998年10月に”TRY&TRY”が結成されました。

チーム名決定 TRY&TRY この名前は、私が大学時代にビーチバレーの大会に参加したときのチーム名でした。「TRY&TRY」この言葉の意味は、何事にもまず自分がTRYして、まわりの皆にもTRYさせると言う意味です。簡単に言えば、自分の目標に勝手に付き合わせるということです。しかし、私は、「TRYしてTRYさせる!」このことが、チームにとって一番大切で欠かす事のできない目標だと、今は信じています。チームの皆が「TRYしてTRYさせる!」この事が実行できる日を楽しみに、今はバレーをやっています。
これからもずっと.....。
待望の初練習 最初のメンバーは15人くらいでスタートしました。男女半々ぐらいでした。正直言ってこんなにメンバーが集まるとは思っても見ませんでした。だから、とても嬉しかったことを今でも覚えています。最初の練習は、Y氏が監督をしている高校の体育館を借りてやりました。とても”ギクシャク”していたことを覚えています。(個人的にはギクシャクした感じは、とても好きです。)(・・;)
いつまでも・・・ 現在では40人以上のメンバーが集い。毎週3回練習しています。コンスタントに20人以上のメンバーが参加してくれます。これだけのメンバーが仕事をしながら自分なりに時間をつくり練習している。すごい事だと思います。そんなチームの一員であることは、いつしか私の心の支えになっていました。
今後、このチームがどのような方向に進んで行くかはわかりませんが、少しでも永く皆が一緒のボールを追いかけることができることを祈ります.....。
考え、思う事 : 何の為に?!誰の為にバレーをするのか?!みんなは、わかっているだろうか?!みんなが平等でないことに気づいているだろうか?!僕は、みんなに気づいて欲しい。人に与えられた1日の時間は等しくても、チームメイトがバレーにさく時間は平等ではない。
「人が人を裁く事こそ、平等ではないのだ!」
誰が、どれぐらいチームに貢献したか?!それは誰にも評価できないし、比べることもできないはずだ。
人それぞれバレーに対する考え方、接し方があると思う。自分が得意な事、自分ができる事でチームに自分なりに貢献すること、それだけで十分だ。私はそう思う。誰かがやらなくても他の誰かがやる。強制でもないし、義務でもない。自分の意思で行動する。そしてチームが歩み出す・・・・・。
私は自分の為にバレーをやる。周りの皆を巻き込み続ける。そんな存在でありたい。あり続けたい。バレーは一人ではできないスポーツだ。だから、私は「私の練習に、皆がいつも付き合ってくれている。」いつもそう思って、練習・試合に参加している。
誰がどれだけ、チームの為に貢献したかは考える必要はない。考えてどうするの?チームはどこに歩き出すの?
自分がやろうと思った事をしようよ!
「人を評価しようとする人間こそ、平等な考えは持ち合わせていない。」
僕が
僕である為の
僕は、小学校4年生からバレーを始めた。最初は友達がやっているから、ただそれだけで始めた事だった。こんな感じで始めたバレーは、いつしか自分の生活の中心へ、そして心の支え、人とのコミニケーションの手段へと自然に変化していった。
バレーボールで初めて挫折を味わったのは、小学校5年生の時だった。6年生の試合に5年生から2人選ばれて参加する事になったが、その2人に選ばれなかったことだ。表には出さなかったが、「なぜ!」と、思った事を今でも昨日の事のように憶えている。ここから、バレーに対して積極的に打ち込む事になる。(maybe)小学校6年生になって副主将をやることになった。とても驚いた。それまで、人と、集団で行動することがあまり好きではなかったからだ。どちらかと言うと「一人で何でもできる。」と考える方だった。しかし、ここから自分でもビックリするほど団体競技(チームスポーツ)の面白さにのめり込んでいく事になる。小学生の頃は週に2・3回の練習だった。それでも、市内の大会では負け無しだった。県のトップレベルのチームと練習試合をしても対等だった。
中学生になると私は、バレー部ではなく野球部に入部した。野球部には、1年生の7月まで在籍した。野球部をやめた理由は、全然練習らしき事もさせてもらえず、球拾いと声だしだけだったからである。(適当に強い部活にある傾向だ!そして僕も、悲しい事にその中によくいる部員だった。)そのとき、バレー部の先輩が入部したらすぐにレギュラーに入れるぞ!の一言で、小学生時代一緒にバレーをしていたN氏をバトミントン部から引き抜き一緒に入部した。練習は、野球部と比べると体力的にも精神的にも楽だった。ただ、部活の先輩が学校の不良グループの頭だった。(-_-;)そんなこんなで1年が過ぎ、先輩が卒業して私がキャプテンとなった。しかし、メンバーは2人だ。急いで小学校時代のバレー部のメンバーを集めてギリギリ6人で新チームのスタートをきった。4月になって新1年生が10名ほど入ってきた。中学時代の成績は市内の大会で準優勝。県大会は1回戦負けだった。こんな感じで僕の中学バレーは終わるかに思えたが、何がどうなったか謎だが、県の選抜に選ばれ中学3年の12月までバレーをする事になった。とてもいい経験だった。(その時のメンバーと今も数名だがバレーを一緒している。)
高校は地元の某工業高校に入学して全国大会を目指したが、結局は県で準優勝が最高だった。ちなみに3年時はキャプテンだった。
高校卒業後は働くつもりだったが、親のたっての希望もあり進学を決意して3年の夏から猛勉強をしてなんとか福岡の某工業大学に進学が決まった。そこのバレー部は、大学の九州リーグで3部から2部に上がったばかりのチームで、僕が在籍していた某工業高校と同じか弱いぐらいのチームだった。(2年時に1部に昇格。)
ここで大学バレーを簡単に説明すると、九州・中国・四国・・・・と言った感じでリーグが分かれており、その中でさらにレベルに応じて部が分かれている。部ごとに年に2回リーグ戦があり、上位のチームは上の部との入れ替え戦で、上の部の下位のチームと対戦して勝敗によって部を入替わるシステムだ。九州の場合は1つの部に6チームで7部か8部ぐらいまである。現在は1つの部は8チームのようだ。
大学生活は思った以上に楽しかった。学業もバレーも人間関係も順調だった。
さらに、この大学生活の4年間で人生を生きていく為に必要な考えを、教えられるメンバーと出会うことになる。その人(以下K氏と呼ぶ)の考えとは、「損か!得か!を考えず、正しか!間違っているかを考える!」
この事を僕は4年間をかけて学んだ。(解っていても実際に行動することは難しい事だ!)今は、これが僕の物事を考える基本となっている。さらに、バレーボールに関してK氏は、とても熱かった!!「失敗したことのない人間は成功することもない。たゆまざる挑戦(チャレンジ)が成功につながる」この言葉がピッタリの人間だった!!
こんな感じでバレーに関しては打ち込んだ。2人+1で過ごした4年間だった。
大学生活4年間のおかげで、「僕が、僕である為の」基盤が出来上がった!
しかし、今も尚、自分と言うものを探す行動をやめてはいない!
僕のアイデンティティは、これからもずっと続いていく、生涯!そんな僕でありたい。

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